金成ハリスト正教会
日本正教会の創立者ニコライが切支丹(キリシタン)禁制の幕末の文久元年(1861)に箱館(函館)のロシア領事館司祭に就任し来日しました。この年の3年前の安政五年(1859)に日本は米・蘭・露・英・仏と通商条約を結び、条約には在留地内において外国人が自国の宗教を信仰し、教会を建てるこもと自由でした。当時外国に開港していた箱館には外国人と交流して洋学を学ぼうとするものが沢山集まっており、その中の一人に坂本龍馬の従弟で神官の沢辺琢磨がいました。この沢辺琢磨という人物はニコライと三日間の法論宗談の末、ハリスト教の宗門教義に心服し知人である酒井篤礼と共に明治元年、禁教令を冒して日本で最初の受洗者となりました。
明治新政府が切支丹弾圧を強化しはじめると、酒井は妻を実家に潜伏させ医業の傍ら伝道を行いました。
以来、検挙・投獄・出獄を繰り返して不況に奔走していましたが明治十四年、46歳で盛岡で客死しました。
信徒の中には学習グループを作り洋学の影響を受け自由民権運動の思想家として成長するものが数多くいました。

この金成ハリストス正教会は慶応4年(1868)この地に来た酒井篤礼が明治8年に仮会堂を建てたのが始まりといわれています。現聖堂は篤礼の死後、川股松太郎の尽力によって昭和9年(1934)松太郎翁の自宅の敷地に建立されました。建物は鐘楼の高さ17m、面積125uのビザンチン式教会です。その美しさは河北新報社の「みやぎ新観光名所100選」にも選定されています。

この教会にて洗礼を受けたものに自由民権運動の思想家の千葉卓三郎・今野権三郎・沢来太郎や後に労働運動の先駆者である鈴木文治らがいます。


1980年(昭和55年)に集会所として境内にイアコフ会館が建てられ、2000年(平成12年)には全面的修復されているそうです。また12月にはライトアップが行われ冬の夜に照らされた姿は、とても幻想的で冬の風物詩となっています。

金成ハリストス正教会正面 聖堂内
鐘楼を含めた高さは17mになるそうです 聖堂は厳粛で神聖な雰囲気に満ちています

聖堂内1 聖堂内2 聖堂内3
   正面から見て左側です       正面の様子    正面から見て右側です

教会入り口  みやぎ新観光名所100選の碑
 「聖堂見学者は拝観感謝献金にご協力ください。
 一人200円以上お願いします」と入口に貼ってあり、
 机には署名するノートが置いてありました。
1987、河北新報創刊90周年記念
みやぎ新観光名所100選「金成正教会」と書かれています。



アクセスマップ
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金成ハリストス正教会 観光情報データ

住 所 : 宮城県栗原市金成上町西裏60−1

お問合せ : 0228−42−1115
         (教育委員会金成教育センター)
入 場 : 見学自由

祈 祷  : 晩祷・・・第3土曜日 午後5時
        聖体礼儀・・・第3日曜 午前10時

交 通  : 東北自動車道若柳金成IC - 約5分
       JRくりこま高原駅 - バスで栗原市
       金成庁舎前下車、徒歩10分


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