せんだいしみやぎのく まさおかのはか
宮城の旅  仙台市宮城野区 政岡の墓




< 政岡の墓(三沢初子) >



 歌舞伎『伽羅先代萩』の登場人物のモデルとなった政岡の墓で考勝寺が管理する敷地にあります。政岡は、伊達家の
 お家騒動の渦中にあって、毒殺者の企てから幼君鶴千代を守るために、自分の子供を犠牲にした烈婦として描かれて
 います。
 政岡という人物は、三代藩主伊達綱宗の側室で四代藩主綱村(幼名亀千代)を生んだ三沢初子のこととされています。
 初子はわずか2歳で藩主となった綱村を、かずかずの苦難から援け育て、貞亨3年(1686)2月4日、47歳で生涯を
 終えました。法名は「浄眼院了岳日厳大姉」といいます。

 考勝寺内にある釈迦堂(参照 考勝寺)は、元禄8年(1695)、初子の霊を慰めるため綱村が建立したものといわれ
 初子の守本尊である釈迦像が祀られています。


 敷地には、三沢初子(政岡)の墓の他に、徳川振姫の墓、稲葉仙姫の墓の3基が並んでいます。普段は入り口が閉まって
 おり中を見学することはできません。




 <三沢初子(政岡)の墓>


 明治以前までは、本殿・唐門・拝殿を備えた漆塗の豪華な
 廟でしたが、戊辰戦争の折、仙台藩は朝敵とみなされた
 ため仙台城本殿とともに破毀令が出されて取り壊されてし
 まいました。

 その後、伊達家が神式の葬祭に改められたため現在の
 墓石が建てられました。


 また墓所内には初子の歌碑が建てられています。

   一ふしに千代をこめたる杖なれば
           つくともつきじ君のよはでは

三沢初子の墓




<徳川振姫の墓>

徳川振姫の墓
<稲葉仙姫の墓>

稲葉仙姫の墓
徳川振姫は姫路城主池田輝政の娘で、二代将軍徳川秀忠の養女となり、後に二代藩主忠宗の正室となる。万治2(1659)年五十三歳で没しました。日蓮宗の熱心な信者で焼失していた考勝寺(当時は善勝寺)を再興したといわれています。二代藩主忠宗は振姫をこの寺に葬り御霊屋を建て、寺名を振姫の法号「孝勝院殿秀岸日訊大姉」にちなんで考勝寺としました。 稲葉氏仙姫は小田原城主稲葉正則の娘で、後に四代藩主綱村の正室となる。宝永3年(1706)四十八歳で没しました。
稲葉仙姫は、青葉区高松の萬寿寺(大檗宗)に葬られ霊廟もありましたが昭和35年この地に移されました。萬寿寺にあった霊屋門は青葉区新坂町大願寺に移築されており、仙台市指定文化財になってます。



政岡の墓 入口はほとんど閉まっているので中を見学はできません。 政岡の墓に隣接している公園です。入口が閉まっていて中を見ることが出来ない場合はこの公園から柵越しに3つの墓を見ることができます




 政岡の墓 データ


 所在地
 仙台市宮城野区榴岡5丁目4

 駐車場
 無し

 アクセス
 JR仙石線 榴岡駅から南へ徒歩約2分

 管理
 考勝寺

 その他
 仙台市指定史跡


政岡の墓(三沢初子の墓) アクセスマップ





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