むらたちょう りゅうとういん | ||||||||||||
宮城の旅 村田町 龍島院 | ||||||||||||
|
||||||||||||
<龍島院の由来> 新潟県村上市にある耕雲寺(こううんじ)の末寺で、延徳元年(1489)、賢岩真佐(けんがんしんさ)の開山した寺院。 二度にわたる火災で伽藍や宝物を失ったが、山門のみが類焼をまぬかれ、寺格の高さをしのばせている。 境内の墓地には、伊達政宗の七男で、柴田・刈田両郡三万石を領した伊達宗高の廟がある。 宗高は刈田岳が噴火し、領民に多大の被害を及ぼし始めたとき、政宗から派遣された明人王翼とともに、みずから の命を犠牲にする覚悟で、爆裂のさなか山頂の小屋に参龍し、火山鎮護の祈りを捧げた。そのため領民の深い信頼を 集めていたが、寛永三年(1626)。19歳で亡くなった。墓は大きな五輪塔で造られており、左右には主君の跡を追って 殉死した10人の小五輪塔がある。 寺宝として、宗高が政宗から守り袖として与えられたという毘沙門天像や、宗高直筆の書状が伝えられている。 また庭園は、京都の詩道仙堂(しせんどう)の庭園を模した、池泉鑑賞式庭園として知られている。 なお山門左側のシダレザクラは、宗高の乳母御阿知也が殉死する前に植えられたものと言われ、「おあちや桜」と 呼ばれている。
<庭園拝観料> 庭園にはお墓参りの方は無料になっているようですが、一般の方は拝観料、一人100円となっていました。
|
||||||||||||
Copyright (C) 2006 MiyaginoTabi Co., Ltd. All Rights Reserved. |