両足山
  大 年 寺 山   (黄檗宗)





大年寺山(だいねんじ)は、別名「茂ヶ崎山」と言われ、仙台市南部広瀬川南岸の標高100m余の向山丘陵の東端部にあります。
昔、「野出口山」とも言い、室町時代の応永年間(1394年〜1428年)には、当時この付近を支配していた粟野大膳大夫の居城茂ヶ崎城があったそうです。
頂上部には伊達家4代藩主からの歴代藩主とゆかりの人々の墓所、仙台市大年寺山配水所、NHK、仙台放送、東日本放送、宮城テレビのテレビ塔、となりに野草園があります。
仙台市指定文化財になっております。





入口と急な階段 大年寺 惣門



大年寺は、京都府宇治市の萬福寺を総本山とする黄檗宗日本三叢林の一つの寺です。両足山と號し、釈迦如来を本尊としています。
元禄9年(1695)11月24日、四代仙台藩主伊達綱村公が自ら鍬を祀って茂ケ崎の地を拓き、宮城郡若林の廃寺小蓬山仙英寺の遺址を此処に移し、新に堂塔を建設して両足山大年寺と號し、同10年3月、下総國向島弘福寺普應鐡牛和尚を請うて開山始祖とし、8月落慶の祝典を挙げました。(開山より現住職まで三十二世を数えています。)

その後、第七世覺天和尚の時、享保14年(1729)5月山門建立、同16年佛殿竣成の事あり。北に般若峯、南に憚那嶺があり、山城本山にも擬して建てたという七堂伽藍は結構荘厳、精彩巧緻の一大偉観を極め、山内に堂塔二十余宇、黄檗宗日本三大叢林中の第一位に挙げられ、綱村公以後の霊廟を司り、藩からは一門格の処遇を受け、寺領二百石、外に禅堂僧糧廩米百石、霊廟供料廩米七十五石、祠堂金若干を附せられていましたが明治維新後藩の外護を失い、堂宇頽廃に傾き、可惜名刹は僅かに吉村公の建立にかかる惣門を残し、一区の景勝地を占むるのみとなりました。

昭和3年に入山した第二十九世上野孝道和尚に依ってその復興計画は立てられ、同8年以来旧跡に110坪の本堂、旧塔頭とう月庵跡に33坪の位牌堂が建てられました。

只、唯一の遺構である惣門は、五つの切妻屋根を有し、外観的には高麗門の形式を左右に複雑にしたもので、建築年代は享保元年(1716)と推測されます。
前には、皷山道霑筆の「東桑法窟」の額を掲げ、昭和60年9月4日、仙台市指定文化財とされています。




急な階段を上ると、茂ケ崎城跡があります。
結構キツイ階段なので、飲み物持参で上られたほうがよいかと思われます。




休憩所1 急な階段
茂ケ崎城跡の付近にあります。 上から見た階段の様子です。
茂ケ崎城跡 休憩所2
茂ケ崎城跡ですが、この他に何もありません。 階段を上られた方はこちらへどうぞ!




<住  所>


  仙台市太白区茂ケ崎4丁目40−2


<アクセス>

  仙台駅西口バスプール11番
       「野草園行」、野草園前」下車

  仙台駅西口バスプール3・7・8番
       鈎取方面行、「大年寺前」下車







宮城県仙台市太白区門前町3番22号
両足山 大年寺
TEL 022-249−6255