とめし てんざんこうびょう | |||||||||||||||
宮城の旅 登米市 天山公廟 | |||||||||||||||
<天山公廟 > 寛文十二年(1672)、館山の覚乗寺跡(かくじょうじ)に伊達政倫(むねとも)の霊廟として建てられたものです。 正式には「覚乗寺高台院霊屋」(おたまや)といい、方三間、単層・屋根宝形造の木羽葺きです。 内部に家形の厨子が安置されています。 須弥壇(しゆみだん)は金色の飾り金具で装飾され、床下に石畳の墳墓があります。 松島の円通院伊達光宗(みつむね)霊屋とともに、安土桃山時代の建築の粋を集めた廟建築の秀作といわれ、 昭和二十八年(1953)三月、県の重要文化財に指定されました。 伊達宗倫は仙台藩第三代藩綱宗(つなむね)の異母兄に当たり、開墾事業に力を尽くしたが三十一歳で世を去っています。 死因については、江戸出立の折りに伊達兵部邸において、もてなしを受けた酒肴による食中毒死説と、 伊達兵部による謀殺説とがあり、涌谷との間に起こった開墾地の境界争いが伊達騒動の発端とも言われています。
こちらは、寺池城址の閑静な林の中にあります。
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