まつしまちょう   おじま
宮城の旅  松島町  雄島

島内の風景
頼賢碑
頼賢碑

渡月橋


<雄 島>


 御島とも書き、また千松島ともいう。岩を切り開いてつくった細道をたどって海岸に出ると、朱塗りの欄干の渡月橋がある。
 緑の松に覆われた島からは、海岸一帯はもちろん、湾岸に浮かぶ五大堂島(ごだいどうしま)・双子島・福浦島を眺めること
 ができる。
 108の岩窟があったといわれる雄島。現在は50程度しか残っていませんが、 その昔、死者の浄土往生を祈念した岩窟で
 内部の壁面には卒塔婆や仏像、法名を彫った跡が数多く見られる。
 橋を渡り道を左に曲がって短いトンネルをくぐると、三方に岩窟のある崖とわずかばかりの平地。
 ここは見仏上人が、法華経60000部を読誦した見仏堂の跡で、奥の院といわれた場所。
 薄暗く、 見仏上人は、この場所で12年間もの長きにわたって修行を続けた。 また、江戸後期のころ、江戸からの便船が
 暴風に巻き込まれ、乗り合わせていた白キツネに救われた話をもとに 海難防止の守り神・新右衛門稲荷が祀られてる。


<頼賢碑(らいけんひ)


 雄島の南端にある。国の重要文化財に指定されており、現在瑞厳寺の所管となっている。
 碑は六角形の鞘堂の中に納められています。粘板岩製で高さ3.5m、が下部1.1m、中央部1.05m、厚さは約20cm。
 碑文があり、徳治2年(1307)に立てられたということがわかっている。凡時(ぼんじ)の左右に唐草文の篆額(てんがく)
 施され、欄下に双龍の紋が彫られている。
 右に「奥州御島妙覚庵」、 左に「頼賢庵主行実銘並序」並び本文の文字があり、奥州の三古碑といわれたとされている。
 この碑は、瑞巌寺の塔頭妙覚庵主頼賢を頌徳(しようとく)して、その弟子の匡心・弧雲らが立てたもので、草書と行書を
 交えた碑文は643文字あり、、松島の来歴や瑞巌寺名僧伝にも触れている。撰文は元(げん)中国からの帰化僧で
 鎌倉の建長寺(けんちょうじ)にいた寧一山だが、現在、風化のため碑文全部の判読は困難になってしまった。。


 島内には芭蕉の、 「 朝よさを 誰まつしまぞ 片心 」 や、「奥の細道」にある松島の部分を記した
 「芭蕉翁松島吟並序碑」などの多くの句碑や詩碑などに混じって、奥州三古碑の一つに数えられる頼賢碑が立っている。


稲荷神社
稲荷神社
福浦橋
福浦橋
松吟庵跡
岩窟仏
福浦島
福浦島


<松吟庵跡


 松吟庵は通玄和尚のために、その兄が頼賢の住んでいた妙覚庵の跡に建てたもので、洞水和尚の詩にちなんで命名。
 ここを訪れた芭蕉は「雲居禅師の別室の跡、座禅石など有。
 また、「松の木陰に世をいとふ人もまれまれ見え侍りて、 落穂松笠など打ちけぶりたる草の庵間にすみなし」
 と記されている。





雄島データ



交  通    JR仙石線松島海岸から15分
                
駐車場    あり

所在地    松島町松島 雄島

地 図(マップファン)


松島町トップに戻る
Copyright (C) 2006 MiyaginoTabi Co., Ltd. All Rights Reserved.