宮城の旅  白石市 飛不動尊
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  <飛不動堂>

  不動堂は伊達政宗が天正19年(1591)に創建したものと伝えられています。
  もとは虎岩下の麓(現国道113号線脇)に建っていたといれ、文禄3年(1594)4月、不動堂が焼失しました。
  この火災の際、ご本尊が自ら飛び出し、堂の裏にあった岩窟に入って災厄を避けたといわれそれ以降、
  飛不動といわれるようになり崇敬を集めるようになりました。さらに享保16年(1731)9月に起きた大地震の
  際にも堂の一部は巨岩に押し潰されたましたが、ご本尊と僧侶は怪我もなく無事でした。
  
  このこともあり、飛不動は霊験あらたかな不動尊として、より一層崇敬を集めることになり奥州の諸大名が
  参勤交代と途中この不動堂に寄り道中安全と藩内安全を熱心に祈願したといわれています。地震後、不動堂
  は現在の場所に再建され、七ヶ宿街道もこの前を通るようになりました。
  

  明治維新後も身代り不動明王として出征者の武運長久を願う人々の参詣が絶えませんでした。

  現在の堂は、昭和53〜60年にかけて修復されたもので、朱色の堂と周りに配された明王の剣が印象的です。





夫婦杉
<飛不動 夫婦杉>

言い伝えによれば当時、小原郷材木岩の霊地(現白石市小原材木岩)にあった飛不動尊は享保16年に発生した地震の際に堂の裏にあった杉の大木が身をもって本尊を守ったと言われており、その3年後享保19年、本堂を現在の山中七ヶ宿街道沿いの現在の場所に再建されました。

地震の際に本尊を守り、人命をも救ったという話を聞いた江弘という村の若者が縁日である旧4月8日に志乃という娘と祝言をあげ、杉の苗木を家内安全、災難消除そして縁日が弘法大師の導きであったことに感謝して1本づつ植えました。

その後、この2本の杉は根元が一体となって伸び、この夫婦も白寿まで仲睦ましく子宝にも恵まれ一生幸せに過ごしたといわれています。

なお8の付く日に飛不動尊を参拝すると霊験高く大誓願が約束され、夫婦の長寿はもちろん夫婦円満、子孫繁栄、家内安全、良縁が約束されるといわれています。




<清水観世音菩薩>

創建の由来は不明ですが、清水観音は以前、材木岩頂上の清水岩一番地に鎮座しており戦前戦後は養蚕農家の信仰を集め、地区内はもちろんのこと遠方からも大勢の参拝者で賑わいをみせていました。

戦後、養蚕従事者が減少するにつれ参拝者も家内安全や交通安全を祈願する参拝者が増えてました。しかし年々老朽化が甚だしくなり改修の必要に迫られました。
道路の便も悪かったことから、平成8年(1998)に現在地に移転建立されました。

清水観世音菩薩



不動堂 鐘楼
朱色と剣が目を引く不動堂、8の付く日に参拝するとご利益があるそうなのですが、それ以外の日だと願いは聞いてもらえないのでしょうか・・・?
ちなみに祈るときには不動明王真言を唱えると良いようです。
「のうまくさんまんだ ばざらだん せんだまかろしゃた そわたや
 うんたらたかんまん」
お参りするなら8の付く日ですよ!8の付く日〜!♪
不動堂わきにある鐘楼、
思い切り鐘をつくと、清々しい音が周囲に響き渡り、森の静けさのなかに消えていきます。
鐘の音は七ヶ宿ダムのほうまで聞こえるのかな・・・?いや、たぶんそんなことはないと思います(笑)



<その他>

飛不動尊は寒成山(かんなりやま)の登山道の入口にもなっています。標高は622mで比較的登りやすいと思います。
ただ途中分岐路が多いので注意が必要です。頂上からは七ヶ宿ダムや蔵王不忘岳を眼下に納めることができます。ゆっくり登っても1時間半ほどで頂上までいけると思います。



飛不動尊アクセスマップ

  <飛不動尊データ>

  所在地  宮城県白石市小原字江志山6−1
  
  問合せ  清光寺 0224-29-2167

  アクセス 東北自動車道白石ICより35分

  駐車場  有り

 
 





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