宮城の旅  登米市東和 後藤寿庵の碑



 奥州キリシタンの中心的人物として知られる後藤寿庵は伊達政宗に目をかけられていた武将でしたが、徳川時代の異教徒禁止令に従わなかった為、弾圧を受け仙台から行方をくらまし、南部浪人としてこの地に潜伏していましたが、捕らえられ斬首の刑を受けて殉教しました。

 口伝では、寿庵の遺体を塩漬けにし埋葬したと伝えられていましたが、近年まで最期の地がわからないままでした。しかし研究者により「天齢延寿庵主」と刻まれた供養碑が発見され、後藤庵寿の供養碑として考えられるようになりました。


 この地はキリスト教徒にとっての聖地の1つとされ、巡礼者が跡をたちません。


 付近には、この地域が隠れキリシタンの里であったと偲ばせる場所が多くあります。三経塚・切捨場霊場や、国道346号線を岩手県藤沢町に入ると大籠キリスト教会・架場首塚があります。いづれも殉教の地が多く、多くのキリシタンがハリツケに処せられました。特に切捨場霊場は、多くのキリシタンの血が染み込んだ地と伝えられ、桐木場屋敷の人々によって密かに代々伝えられ供養されてきましたが、同家の住人が移住するのに伴い、初めて世に知られることになりました。




データ

所在地  登米市東和町米川西上沢

       この場所は国道346号線の傍らにありますが、直接ここに至る道がないため、田んぼの中の畦道を通ります。
       案内板もなく、わかりずらい場所ですので通りすぎないよう注意が必要です。






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