| 津山地区 |
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| もくもくハウスは、国道45線沿い石巻から北へ車で30分ほどの場所にあります。通常の道の駅の設備の他、津山杉を使った木工製品が多数展示販売されています。近年施設が改修され、周辺の風景ともマッチした綺麗な造りになっています。 |
| 敷地内には広場や遊具もあり子供連れで楽しむことができます。 |
駐車場79台・トイレ男5女3身障者用1・公衆電話・レストラン「木里口」・物産観「もくもくハウス」・虚度文化保存伝承館・木製遊具広場
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| 万葉集で知られる僧行基によって神亀三年(826)に創建されました。当時は大土山の山頂にありましたが、元和元年(1615)に大土山西麓に移築されました。 |
| 日本三虚空蔵尊の1つ、鳥居は木製で日本大鳥居の1つに数えられています。 |
| 境内には柳津虚空蔵尊七不思議があり、境内のさまざまな場所で見ることができます。家内安全や商売繁昌などの祈願に多くの人が訪れます。 |
| 登米市津山町柳津大柳津63 |
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家督を伊達政宗の弟、小次郎に継がせようとした母が、政宗を毒殺しようとし失敗。母に罪を問うことができなかった政宗は、かわりに弟小次郎の罪を問い黒川城で手にかけました。その後守役の小原縫殿助がこの地に遺骸を持ち運び埋葬しました。
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| 128段の石段を登った丘の中腹ほどにあります。傍らには、小次郎を葬ったあと殉死した、守役の小原縫殿助の墓が建っています。 |
| 登米市津山町横山 長谷寺 |
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保元元年(1156)百済から流れ着いた仏像を祀って小堂を建てたのが始まりと伝えられています。開基は橘知禅です。
本尊は純金製の不動明王像(高さ5cm程)で大きな仏像の中に安置されています。12年に1度の酉年にご開帳されます。 |
| 境内の池に生息するウグイは国の天然記念物、青銅五重塔は県文化財 |
本堂の傍らには青銅五重塔は県の文化財に指定されています。境内には遊歩道があり池のほとりを杉の木立の間を散策することができます。
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| 豊里地区 |
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天正十二年(1584)に開山された時、葛西氏(かさい)の家臣月輪氏が館の東門を移して香林寺の山門(菩提寺)にしたといわれており、室町時代の末期山門の様式をよく伝えている。県の文化財に指定されており、平屋建、桁行1.16m、梁間3.36m、屋根は切妻造の桟瓦葺きである。 天文九年(1540)の造営といわれ、県内でも有数の古木造建築物とされている。境内には壊邑館(かいゆうかん)という郷土資料館がある。
登米地方でかつて使われていた、民具・農具などの諸資料が展示されているが、現在は整備のため閉館中である。 |
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| 登米地区 |
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往時そのままの姿で残る遺構で、かつて全国的に宣伝された多くの武家屋敷は、火災にあったり、改築されたりして、今日ではわずかに十指を数えるにすぎませんが、多く見られるのは後小路・前小路の辺りです。
通りに面して長い白壁を連ねた武家屋敷が残され往時をしのばれます。
そのなかでも代表的なのが武家屋敷通りにある旧鈴木邸で「春蘭亭」と呼ばれています。
登米町の無料休憩所となっており、趣のある佇まいの建物の中には団子や抹茶が楽しめる甘味処もあります。 |
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明治二十一年(1888)の建築で、山添喜三郎建築技師の設計による和洋折衷の意匠です。100年を経た今日まで寸分の狂いも生じないため、建築界の話題となりました。
明治期の洋風建築として名高く、国の重要文化財に指定されており、教科書などを展示する「教育資料館」として1989年に保存修復作業が行われ復元され、一般に公開されています。 |
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明治二十一年(1888)の建築で、山添喜三郎建築技師の設計による和洋折衷の意匠です。
明治中期の警察署内の様子が再現されていてます。 昭和六十三年(1988)に復元され、宮城県指定重要文化財・日本唯一の警察資料館として公開されています。 |
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明治の廃藩置県で、明治四年(1871)に宮城県の北部と岩手県の南部を管轄する地域を登米県と称し、この町に和洋折衷建築の登米県庁舎が設置されました。
平成3年から水沢県庁記念館として公開しています。また、町指定の文化財になっております |
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寛文十二年(1672)、館山の覚乗寺跡(かくじょうじ)に伊達政倫(むねとも)の霊廟として建てられたものです。 正式には「覚乗寺高台院霊屋」(おたまや)といい、方三間、単層・屋根宝形造の木羽葺きです。
昭和二十八年(1953)三月、県の重要文化財に指定されました。
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伊達氏ゆかりの文化財を収蔵している施設で、臥牛(がぎゅう)城跡の一角にある。名誉町民、渡辺政人(まさんど)氏の寄贈によりつくられた。 伊達政宗・狩野探幽(かのうたんゆう)・江月和尚(こうげつ)の合作による掛け軸のほか、刀や工芸、彫刻など、伊達家ゆかりの貴重な文化財約130点を展示。伊達政宗公が着用した武具、鎧兜・刀剣・書画などが陳列され、なかでも三代藩主綱宗の脇差や、綱宗が江戸品川の屋敷に、逼塞(ひつそく)中に造ったといわれる茶碗・刀筒は有名である。 |
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| 東和地区 |
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伊達騒動(寛文事件)で知られている原田甲斐のゆかりの寺です。伊達安芸を刺し自らも斬殺されたこの事件は小説などでよく知られています。
本堂裏手の池のほとりには、原田甲斐の墓と伝えられている自然石の碑が立っています。 |
| 寺の裏側は眺望にすぐれています。 |
| 原田甲斐の遺骸は、密かに船岡の東陽寺をへてこの寺へ葬られました。原田甲斐の墓は伊達家の逆臣であったため、伏せられていました。甲斐寄進の鐘も大戦時、鉄資源として徴用され残されていません。 |
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| 竹峰山華足寺境内の石段を登ると、いかにも歴史の古さを感じさせる堂を見ることができます。坂上田村麻呂が東征のとき愛馬を葬る為にこの地に馬頭明王を安置したのが始まりと伝えられています。奥州七観音の1つ、奥州三十三観音15番札所としても知られています。 |
| 客殿・山門は県の文化財に指定されています。 |
| 原田甲斐の遺骸は、密かに船岡の東陽寺をへてこの寺へ葬られました。原田甲斐の墓は伊達家の逆臣であったため、伏せられていました。甲斐寄進の鐘も大戦時、鉄資源として徴用され残されていません。 |
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後藤寿庵は奥州キリシタンの中心人物で伊達政宗の臣下でしたが、異教徒禁令に従わなかったので弾圧を受け仙台から姿を消し、この地に隠れ住んでいましたが、捕らえられ斬首されました。
口伝では寿庵の遺体を塩漬けにして埋葬したと伝えられています。
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キリスト教徒にとって、この地は聖地の1つとなっており、巡礼者が跡を絶ちません。 |
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