とめし とうようじ | ||||||||||||
宮城の旅 登米市 東陽寺 | ||||||||||||
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<東陽寺の歴史> 東陽寺は、歌舞伎・狂言で知られる先代萩、寛文事件(伊達騒動)で有名な原田甲斐(宗輔)ゆかりの寺です。寺は伊達氏の米沢時代、原田家の菩提寺として羽前国(山形県)西置賜郡小松に創建されましたが、伊達家の転封に伴った原田氏と一緒に船岡へ移り天和元年(1681)、現在地に移築されました。 伊達騒動(寛文事件)が起こったあと原田家は断絶となり、原田宗輔(甲斐)は斬首され、家来が遺体を密かに船岡に持ち帰り、東陽寺の裏に埋めました。その後、東陽寺が現在地に移った際、甲斐の首は梵鐘に隠されて運ばれ、本堂の裏に密葬し、目印に銀杏を植えたといわれています。宗輔の墓と伝えられる自然石は逆臣原田宗輔(甲斐)とういうことで、世をはばかるため墓石は伏せられていたと言われています。後に銀杏の大木の前には、原田甲斐の首塚が建てられました。 第二次世界大戦まで原田甲斐が寄進したといわれる鐘がありましたが軍事徴用され現存していません。
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