けせんぬまし かんのんじ
宮城の旅  気仙沼市 観音寺
観音寺山門





  <観音寺>

   観音寺は気仙沼の市街地を足下に望む丘陵にあり、この地域きっての名刹です。創建は和銅年間(709)、当時蝦夷の
   地であったこの地を藤原宇合が蝦夷の勢力を鎮圧しその首塚を南流山にまつったのが始まりと言われています。

   その後、行基が巡錫して観音像を彫り、円仁(慈覚大師)が堂宇を建立し海岸山観音寺と称するようになりました。
   源義経が平泉に幽棲していたおり、皆鶴姫の菩提を弔うため観音堂を建て、瑞国海岸山観音寺と改称して現在に至
   っています。

   延暦寺の末寺で、最澄が根本中堂にともした「不滅の法灯」を受継ぎ、本堂には灯明が灯されています。不滅の法灯
   は全国に七寺にあり、山形県の立石寺・岩手県平泉の中尊寺と並び東北三灯に数えられています。



観音寺本堂 鐘堂
本堂
現在の本堂は元禄年間に建てられたものといわれています。本尊には聖観音がまつられています。木像阿弥陀如来坐像、観音堂厨子宮殿、意馬心猿の図、連理の欅は文化財の指定を受けています。
境内
境内には落合直文や辻潤などのの歌碑や句碑が多く立っており、文学者の来遊も少なくありません。
鐘堂のあたりからは、周囲の町並みを一望することができます。



  <観音堂

観音堂
境内には観音堂がり、三十三年に一度だけ開帳されます。堂内には厨子があり宮城県の文化財に指定されています。享保8年(1723)に五代藩主、伊達吉村がこの地方を巡視したさいに建築させたといわれています。
構造は縦150cm、横226cm、高さ228cmの欅(けやき)の素木造です。屋敷は入母屋造・?葺(こけらぶき)で軒唐破風を付け内部は秘仏と脇仏を収める四室からなっています。

この厨子内には源義経と皆鶴姫にまつわる伝説のある黄金の観音像が安置されています。



源義経と皆鶴姫にまつわる伝説

京都の鞍馬山で義経が鬼一法眼(きいちほうがん)の娘、皆鶴姫と謀って、法眼の大事にしていた兵法書を手に入れて平泉へ走ると姫は法眼の怒りを買い海に流されてしまいました。
姫は冷たい骸となって母体田(もたいた)の浜に漂着し、その手にはしっかりと観音像が握られていました。

いっぽう義経は霊夢によって姫の漂着を知り、その霊を慰めるため堂を建て観音像を安置しました。
観音堂には姫を乗せて漂着した舟板の残骸、義経が使ったという笈や弁慶が衣をかけたという石が残っています。



その他の見所

境内では多くの歌碑、句碑を見ることができます。

 白鳥省吾 「現し世に寄り添い生くる目出度さをみ空に歌ふ連理の欅」

 土井晩翠 「おほ空に雲一とひらもただよわず千代を寿ぐ九重の庭」

 辻潤    「海岸山観音寺の朝ぼらけ空々くろろんと啼くは誰が子ぞ」

 前田夕暮 「雪かつぐ山にむかいて幾うねりよせくる波のおほうねりはも」

 落合直文 「一つのて君を祝はん一つもて親を祝わん二本ある末」


 小野寺巖建之 「秋立つといふ日も暮るる水に雲」

 蛙鳴会建共  「蓊蔚喬杉聳碧天 晨光燿燿看飛 鳶閑静邃観音寺 院落鐘聲誥法筵」

 佐々木石材店建之 「観音の泉溢るる泉かな」

寺宝として宮城県の文化財に指定されている木造阿弥陀如来坐像があります。高さは40cmほどの寄木造像で平安時代末期
のものと推定されています。

 



観音寺、アクセスマップ
観音寺 データ

交  通  気仙沼線・大船渡線気仙沼駅/徒歩20分

駐車場  有り(無料)

連絡先  0226-22-0247

所在地  宮城県気仙沼市本町一丁目4-16

山号・宗派  瑞国海岸山  天台宗


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