もとよしちょう おおやきんざんあと・おおやこうざんしりょうかん | ||||||||
宮城の旅 本吉町 大谷金山跡・大谷鉱山資料館 | ||||||||
<大谷金山跡> 本吉町の北部にある鉱山跡地です。採掘の歴史は平安時代中期にまでさかのぼるとされ、奥州藤原氏の黄金文化を 支えたともいわれています。往時の採掘法は一般的だった水流堀であったとされ、その痕跡も認められ日本の鉱山史 でも貴重な資料としても知られています。 この鉱山の最盛期は、平安時代末期ごろであったといわれ、この鉱山を中心に津谷・赤岩・馬籠(まごめ)・入谷(いりや) などへと広がっていき、その金は「本吉金」とよばれ、珍重されていたといわれています。 大谷・宮城・御岳(みたけ)などでは、昭和の初めころまで採掘がおこなわれていました。 また、これらの精錬に従事したのは主に欧米文化を吸収したキリスト教徒たちで「異教の禁」では大弾圧を受け、多くの 殉教者を出したところでもあります。(本吉・登米市東和地区・岩手県藤沢町は隠れキリシタンの里として知られています。 詳しくは後藤寿庵の碑参照) 江戸時代以降の仙台藩の有力な財源として、その後の地域の経済を支える産業として戦前まで掘り続けられていましたが 資源の枯渇などにより、昭和51年に廃鉱となり、その歴史に幕を引きました。 <大谷鉱山資料館> この資料館は、本吉町の発展に大きく貢献した金山の歴史を残し、観光振興や地域学習を促進するために、 2005年4月1日に作られた施設です。大谷鉱山は、1905年に試掘鉱区が設定され、1930年頃には国内有数の金山 として広く知られていました。1942年には従業員1,303人を数え、年間1トンの産金量を誇っていました。しかし資源の枯渇 から昭和46年に精錬所を残して閉山、昭和51年に全面閉鎖となりました。 鉱山跡地に建てたこの資料館は、大谷鉱山資料収集保存庫に保管していた採掘・運搬機器のほか、元従業員らが 提供した操業時の写真パネルなどが展示されています。 廃墟好きのミホには、たまらない場所♪機会があれば中に入ってみたいな!!と本気で思ってたりしています。 廃鉱跡には柵などが見当たらなかったので、中に入れたりして・・(笑)
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