わくやちょう けんりゅうじ | ||||||||||||||||||||||||||
宮城の旅 涌谷町 見龍寺 | ||||||||||||||||||||||||||
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<見龍寺の由来> 天正19年(1591)亘理重宗が涌谷の領主になった時、京都にある妙心寺の梁岩を招いて中興開山し、円同寺と称していました。寛文11年(1671)、伊達安芸宗重の死去に伴って見龍寺と改め、法灯などを加えて境内を整え現在にいたっています。 方丈の書院に面している裏庭には池と老木があり昔のままの姿をとどめています。本尊は如意輪観世音で、安慶によって造られたものです。吉祥殿の本尊は文殊大士繍像(もんじゅだいししゅうぞう)で左右の壇上には伊達安芸重宗以降の涌谷城主とその夫人の位牌が安置されています。5世石泉は寛文事件(寛文事件については登米市東陽寺を参照してください)の時。伊達安芸の黒染の参謀として活躍していました。
<見龍廟> 見龍寺の境内の白壁の塀に囲まれており涌谷伊達家四代宗重の霊屋(墓所)で、寛文13年に建てられました。大きさは二間四方、桁行・梁間とも3.94m、総欅素木造で向拝が付き、屋根は宝形造の銅板葺で県の文化財に指定されています。 堂内には平石が敷き詰められ壇上に仏がんを安置し衣冠束帯姿の宗重像坐像を納めており、またその上部に仙台藩四代藩主伊達綱村の筆による「尽忠見龍院」の額が掲げられています。 堂の周囲には5・6代の霊屋をはじめ歴代当主の巨大な墓石、石造五重塔、石造水盤などが立ちならんでいます。
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