仙台三十三観音について

現存する仙台三十三観音は、かっては仙台城北の川内亀岡にある法楽院を第一札所観音としてスタートし広瀬川の
牛越橋を渡り茶屋町の観瀧庵を詣うで、ついで北山にまわり各寺院の観音を参詣したのち寺小路へと赴きました。
さらに八塚(今の新寺小路)・荒町・石名坂と城下南部の諸寺院をまわって、宮城野の一角にある陸奥国分寺・国分尼寺
を巡礼したのち、府外名取郡北方六郷村の五観音を訪れ、名取川を渡って四郎丸村落合の大善院観音堂へ、
これから根岸村の十八夜観音にまわり、終わりは経ケ峰の南麓・鹿落観音堂で一巡を終了します。現在、自動車では
一日でも巡礼することも可能ですが以前はいまの交通事情とは異なり徒歩でこれらを巡礼するには、およそ4〜5日を
要していました。
(仙台の三十三観音より)

三十三観音 石柱 <三十三観音石柱について>

三十三観音には左のように刻まれた石柱が三十三札所全てに設置してある。
三十三番経部山大蔵寺観音堂にのみ破損した「昭和十年盂蘭盆會之日」の札所石柱があり推測するに三十三番札所に最初設置し、その翌年に全て設置したものではなかろうか。

<ご詠歌額について>
ご詠歌額
観音堂に掲げてある御詠歌額は、昭和十三年に仙台市立町の大阪太兵衛が自ら刻んだものでその内容は左のとおりである。


三十三札所のうち、十七札所に掲示してある。



それでは巡礼の旅に出発しましょう!



第一番札所   法樂院観音堂

三十三観音霊場巡拝の三十三という数字は法華経の観世音菩薩普門品に観世音が三十三身に変化し衆生を救うと説かれて
いるところからきており、この観世音様の三十三変身になぞらえて大和長谷寺の徳道上人が八世紀のはじめ(養老年間)近畿
地方の三十三ヶ所の寺々に霊場を設けて巡拝した。これが西国三十三観音巡礼のはじめとなり、その後永延二年(九八八)
花山天皇によって中興され、一般に伝わるようになったという。
仙台の三十三観音札所は四代藩主綱村公の時に選定されたと伝えられている。
(法楽院設置の説明看板より)

修験道の法楽院は現在はないが、伊達氏の仙台入府以前から青葉ケ崎(現在の仙台城の地)にあったと伝えられ、国分氏の
庇護を受けていたという。藩政時代につくられた「領内寺院名」「仙台府内寺院名」にもこの寺のことは記載されていないことから、
伊達氏の仙台築城後に亀岡に移り、暫くして廃寺となり堂宇が残ったものと思われる。
仙台城二の丸に近く、巡礼としては城に近いところから第一番になったものであろう。本尊は聖観世音菩薩である。略称は
聖観音で、この観音は諸観音の根本となるもので、前述の国分氏のうち、十五代盛氏がこの地で威武を示していた頃、彼の
護持仏として伝えられているのが、現在の聖観音と伝えられる。           (仙台の三十三観音より)


観音堂
法樂院観音堂
観音堂の厨子
観音堂の厨子

しんまい巡礼記
敷地内には、常に駐車車両があり、堂宇の撮影には甚だ支障があったのはこちらの勝手かもしれない。駐車場はありません。

巡礼御詠歌
ふたらくやうつして祈る亀がをか よろずよかけてたへぬちかひを


法樂院観音堂データ

【所在地】           仙台市青葉区川内亀岡町2
【ご本尊】           聖観世音菩薩(運慶作伝)
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は閉まっているが、覗き窓より厨子のみ拝観できる。
【ご扁額】           正観音
【ご詠歌額】          なし





第二番札所   観瀧庵観音堂

国道48号線にそって大崎八幡神社前バス停留所から西へ5分、鶏橋を過ぎて南側の狭い一角にこの堂はひっそりと
立っている。丁度、広瀬川を隔てて、三居沢の不動堂が眺望される。ここからは有名な三居沢の瀑布(たき)がみえることから、
この寺名がついたと思われる。
大崎八幡神社の別当寺である龍宝寺の門前に、龍華院・観瀧庵の二ケ寺が塔頭として藩政時代に存在したが、明治に入り
廃寺になり、後者にあっては堂宇のみが残されたものである。本尊は千手観世音菩薩、略して千手観音である。千本の手と
それぞれの手に目をもつと伝えられ、実際は四十本の手(一本で二十五の願いを叶える)に二十七の顔をもち、除病・滅罪・延命を
祈る観音としても知られる。           
                                          (仙台の三十三観音より)

観音堂からは広瀬川を隔てて三居沢不動滝が見えることからこの寺名がついたものという。
                                          (青葉の散歩手帖より)


観瀧庵観音堂 観瀧庵観音堂 本尊 第二番札所 石柱
観瀧庵観音堂 観瀧庵観音堂本尊 第二番札所 石柱

しんまい巡礼記
現在は、東西南に建物が近接しており瀑布(滝)どころか観音堂も駐車車両の陰になり、はっきりと見ることはできないし屋根付
駐車装置や駐車車両によりデジカメアングルに困りましたが取りあえず撮影しました。
駐車場はありません。


巡礼御詠歌
来る人はふかきめぐみに大崎や 数ある御手の糸にひかれて


観瀧庵観音堂データ

【所在地】           仙台市青葉区八幡5丁目3の12
【ご本尊】           千手観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は閉まっているが覗き窓より微かに拝観できる。
【ご扁額】           子安観世音
【ご詠歌額】          あり





第三番札所   慈雲山資福寺観音堂

かっての三番札所の定光寺は二代藩主伊達忠宗の葬礼場であったといわれ古くは三条中学校の北側、浄土宗大法寺の
西側の地にあり、元は東光寺と称した。本尊は和泉三郎忠衡の護持仏といわれた聖観音である。明治三十七年に定光寺は
廃寺となり、観音堂安置の聖観音は資福寺へ移された。            (仙台の三十三観音より)
仙台三十三観音の第三番札所である。観音堂はもと末寺定光寺にあったものを同寺焼失し廃寺になったので本寺に遷座した。
観音は藤原秀衡の三男和泉三郎忠衡の守り本尊といわれ、木造聖観音立像である。傍らに土井晩翠筆の線刻平和観音
がある。
                                         (青葉の散歩手帖より)


慈雲山資福寺観音堂 慈雲山資福寺観音堂本尊 第三番札所 石柱
慈雲山資福寺観音堂 資福寺観音堂本尊 第三番札所 石柱

しんまい巡礼記
資福寺は、紫陽花()の寺として有名であり7月の巡礼時には参道及び山門への石段両脇に煩いほどの紫陽花が
咲いていました。以前の観音堂は石造とあり、菱沼ふで氏の寄進によるが寄進年は不明で、現観音堂は、
昭和59年10月落慶の木造で菱沼サダ氏の寄進によるものだそうです。観音堂右手には、土井晩翠の描いた平和観音の
石碑があります。昭和27年の完成で碑の上部には「江月照松風吹」と刻まれ、白隠禪師の「南無観音大悲者、百億分身無際涯」
の詩が晩翠自筆によって書かれています。 裏面には志賀潔博士の「平和悲願に和す、嗚呼信ずる君には慧眼あり、
昭和二十七年晩春 八十二翁 志賀貴洋史」の文が残されています。こちらも必見です。

資福寺参道入り口 土井晩翠碑 資福寺の紫陽花
資福寺参道の入り口です 土井晩翠碑 参道を覆わんばかりの資福寺の紫陽花

巡礼御詠歌
おもふこと祈る心に定まりて 恵むほとけのひかり身にそふ


観瀧庵観音堂データ

【所在地】           仙台市青葉区北山1丁目13の1
【ご本尊】           聖観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は閉まっているが、覗き窓より微かに拝観できる。
【ご扁額】           なし
【ご詠歌額】          なし





第四番札所   通寶山永昌寺

いまは新坂町というが、東北大学医学部裏の新坂通りを北上し、北山に向かう途中の左手にこの寺はある。
観音堂は独立せず、本堂にご本尊として、千手観音正しくは千手千眼観世音菩薩が安置されている。                                                           (仙台の三十三観音より)
寺は往古よりこの地にあったというが詳かでない。元和九年(一六二三)政宗の母保春院が死去した時、葬礼道具をこの地で
焼却しその跡に灰塚を造った場所に、輪王寺十三世角外麟恕和尚が中興開山したという。
本尊の千手観音は平安時代のもので定朝作と伝えられる。    (青葉の散歩手帖より)


永昌寺山門
永昌寺山門 山門前に四番札所の石柱があります
本堂
本堂

しんまい巡礼記
ここ新坂通筋には、南から七番、六番、五番、四番札所があり、永昌寺は最も北にあります。新坂通を右に曲って北仙台駅方面に三番観音があります。わずか三百メートルに4箇所も札所があります。また、本堂の千手観世音菩薩の御影は、「杜の散歩道」に掲載されてます。

巡礼御詠歌
たものしや宝の山にかよひ来て いかでむなしくかへりやはせん


通寶山永昌寺データ

【所在地】           仙台市青葉区新坂町18の1
【ご本尊】           千手観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     本堂内にあり、外部からの拝観はできない。
【ご扁額】           なし
【ご詠歌額】          あり





第五番札所   大鶴山昌繁寺観音堂

新坂通りにあり、第六番札所と隣り合うこの寺は、浄土宗専称寺(福島県いわき市)の末寺で、記録によれば、大工の鶴谷、
正式には福田鶴右衛門がこの寺を建立したとあり、故に山号を大鶴山と称したと伝える。そして、鶴右衛門は入信して繁誉昌空
と号したので、寺名がついたとも伝えている。
藩政時代に数次の火災にかかり、現在の建物は明治四十二年のものである。この寺の本堂右手にある観音堂に安置されている
聖観音は、木造立像で鎌倉末期の作といわれるものである。      (仙台の三十三観音より)

山門と観音堂は仙台市登録文化財になっている。
境内の観音堂には足利時代の作といわれる木造正観音立像が安置されている。
                                             (青葉の散歩手帖より)
高村光雲の鑑定によれば、堂内に安置されている聖観音は室町時代の作です。
                                             (杜の散歩道より)


昌繁寺山門
昌繁寺山門 五番札所の石柱は参道入り口にあります
昌繁寺観音堂
昌繁寺観音堂

しんまい巡礼記
ご本尊の製作年代は、諸説があり判りません。聖観音の御影は、「杜の散歩道」に掲載されています。山号と寺名が大工さんに
起因しているとは目から鱗でした。


巡礼御詠歌
千代よはふ鶴のはやしのかよひあり いくよさかりに繁る山もと


大鶴山昌繁寺観音堂データ

【所在地】           仙台市青葉区新坂町13の1
【ご本尊】           聖観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は閉まっている。扉には覗き窓がなく外部からの拝観はできない。
【ご扁額】           観世音
【ご詠歌額】          あり





第六番札所   功徳山荘厳寺観音堂

山門を入って左手に観音堂があり、十一面観音像三十三体が安置されている。
                                              (仙台の三十三観音より)
山門は三間一戸の薬医門、屋根は切妻本瓦葺で、江戸時代初期の上級武家屋敷門として昭和六十一年に
仙台市指定有形文化財になっている。境内にある地蔵菩薩三基は山門の方を向いて鎮座しているので“逆さ門弔い地蔵尊”と
呼ばれているという。
山門を入って南側に観音堂があり十一面観音像が安置されている。
                                              (青葉の散歩手帖より)


荘厳寺観音堂 観音像 第六番札所石柱
荘厳寺観音堂 十一面観世音菩薩像 第六番札所石柱

しんまい巡礼記

この寺の観音堂はさておき、山門に興味が湧いたので記録をとってみました。
仙台藩における寛文事件(俗称・伊達騒動)の中心人物である原田甲斐宗輔の屋敷門が、現在のこの寺の山門であることで知られ、かっての正面の裏を表とし、上下左右を逆としたので別名「逆さ門」ともいっているそうです。また、逆さ門供養の地蔵菩薩坐像も鎮座しています。ふと山本周五郎作の「樅の木は残った」を三十七年前に読んだ記録が甦ってきました。


巡礼御詠歌
ゆくすえをなほもたのしめいさおしを つみてかざりし花のうてなに


功徳山荘厳寺観音堂データ

【所在地】           仙台市青葉区新坂町12の1
【ご本尊】           十一面観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は閉まっているが、覗き窓から微かに拝観できます。
【ご扁額】           なし
【ご詠歌額】          あり





第七番札所   増上山大願寺観音堂

新坂町にあり、北山市民センター(旧仙台市火葬場跡)の南にある浄土宗の寺院である。
二度にわたる火災のため、本堂をはじめほとんどの仏具を失っている。しかし、境内の観音堂だけは残されて、
今日に至っているという。ここの観音は聖観音で、高さ一二〇センチの木彫である。この観音は北六番丁の薬本寺に
あったとされるが、のち、この寺に移ったものである。
                                              (仙台の三十三観音より)

山門を入って右側に観音堂があり、行基または弘法の作といわれる木造聖観音立像が安置されている。                                                             (青葉の散歩手帖より)


大願寺観音堂
大願寺観音堂 石柱は堂前にあります
観音堂内部
聖観世音菩薩像

しんまい巡礼記
ここの山門は、四代藩主綱村の夫人仙姫(万寿院)の墓所の門として建てられた向唐門です。因みに仙姫の現在の墓所は、
宮城野区榴岡五丁目公園の政岡の墓所にあります。


巡礼御詠歌
たておきし弥陀のちかひの大いなる 願のうちにたれかもるべき



増上山大願寺観音堂データ

【所在地】           仙台市青葉区新坂町7の1
【ご本尊】           聖観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は開いており、外部からの拝観できる。
【ご扁額】           観音
【ご詠歌額】          あり





第八番札所   宝光院観音堂

かっての場所は現在の錦町公園の地で藩政時代には寺領五貫文(五十石)を有し、寺小路にあって城下中心部の札所として
知られていた。
明治維新に廃寺となった真言宗の寺であり、聖観音を祀る観音堂が残されたが、昭和二十年の仙台空襲で焼失し本尊だけが
焼失をまぬがれ、現在は満願寺観音堂に併せて祀られている。
                                                (仙台の三十三観音より)



観音様が安置されている本堂(観音堂)
第八番札所石柱
第八番札所石柱

しんまい巡礼記
八番札所と九番札所両方のご朱印を頂いたが札所番号と朱印が逆であった。またの巡礼時に頂かなければと思っています。

巡礼御詠歌
友人は同じ心にまちゐつつ いのりてやゆく今とのちの世


宝光院観音堂データ

【所在地】           仙台市青葉区本町1丁目9の10
【ご本尊】           聖観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     満願寺観音堂内にあるが、外部からは拝観できない。
【ご扁額】           成就山
【ご詠歌額】          なし





第九番札所   成就山満願寺観音堂

この寺は天台宗に属し、藩政時代には三貫六百文の寺領を有していた。
ここは聖観音を祀っていたので知られていたが、昭和二十年仙台空襲で焼失し観音堂も焼失したが、昭和五十八年近代的な
姿で再建された。いまこの寺は第八番・第九番の二ケ所の観音札所となっている。
                                                 (仙台の三十三観音より)
観音堂には光明皇后の護持仏閻浮檀金の聖観音を祀り、寺小路のお観音さんとして古来市民の信仰厚く、殊に正月の暁参り
には木下薬師とともに「朝観音、夕薬師」として賑わったという。
                                                 (青葉の散歩手帖より)


満願寺山門
満願寺山門
第九番札所石柱
第九番札所石柱

しんまい巡礼記
この寺は、「愛宕上杉通」を駅前から錦町公園に向かう途中にあり、自分は駐車場がないと思い有料駐車場に停めましたが、
東北電力本社からの一方通行道路からの東門を入ると駐車場がありますのでご注意を。


巡礼御詠歌
もろもろのねがひもみつるこの寺や まことの心ふかくいのらば


成就山満願寺観音堂データ

【所在地】           仙台市青葉区本町1丁目9の10
【ご本尊】           聖観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     満願寺観音堂内にあるが、外部からは拝観できない。
【ご扁額】           成就山
【ご詠歌額】          なし





第十番札所   善入院観音堂

原町本通り入口から一〇〇メートル東に入った北側にこの観音堂はある。
古くはここに清光院があり、そして延寿院という祈祷寺で千手観音を祀っていた。ここの観音堂には弘法作と伝える千手観音像と
脇仏として勢至菩薩と聖観音が安置されている。         
                                              (仙台の三十三観音より)
本尊は千手観世音菩薩で、仙台巡礼三十三観音の第十番札所で、子(ね)の歳生まれの守護神として有名で、俗に原町の
「千手観音」と呼ばれている。
                                              (宮城野区の散歩手帖)


参堂と石柱 善入院観音堂 第十番札所の印
参堂入り口右手に石柱 善入院観音堂 三十三観音中、唯一有料の第十番札所の印

しんまい巡礼記
ここは、原町本通りの北側にあり、道路や駐車場が狭いので苦労したが、それよりもご朱印の押印にお金を取られました。
これには愕然としましたが、東北三十六不動札所を行脚した義母によると全ての札所で押印時に寄進のためにお金を納めた
そうです。


巡礼御詠歌
ことぶきをのぶるちかひやいのりゆく すえののはらのまちとふくとも


善入院観音堂データ

【所在地】           仙台市宮城野区原町1丁目1の67
【ご本尊】           千手観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は閉まっている。覗き窓より厨子のみ拝観できる。
【ご扁額】           観音堂
【ご詠歌額】          なし



第十一〜第二十番札所へ 第二十一〜第三十三番札所へ 付録〜七観音について



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