第十一番〜第二十番札所


第十一番札所   眺海山仙岳院観音堂

札所十一番十一面観世音菩薩は「小萩観音」と呼ばれている。
文治五年(一一八九年)頼朝の平泉討伐のとき藤原秀衡の三男和泉三郎忠衡の女児五歳を家来 石塚民部守時、
同妻小萩が護って加美郡色麻村清水寺観円(守時弟)のもとに身を寄せて出家する。
元久二年(一二〇五年)に主従共に仙台に移る。女児守時の死後小萩は現在の東照宮近くにお堂を建て女児の護持仏の
十一面観世音菩薩(行基作―奈良時代)を念持仏としてまつりその冥福を祈ったという。東照宮建立の際、天神宮と共に
別当寺としてつつじが丘にうつされ萩徳山仏生寺と称した。明治維新後廃寺になり、観音さんは民家の所有となった。
仙岳寺十五世亮湛僧正が遺憾に思い買収して仙岳院にまつったものである。
                                               (仙岳院設置の説明看板より)
この寺の観音は小萩観音として知られる。古く、藩政時代には榴ケ岡天満宮の地に、その別当寺である修験の佛生寺があったと
いわれるが、退転してこの寺はなくなり、のちに明治に入り十一面観音が商人の手に渡ったことを知った仙岳院の梅小路亮湛師
が、これを求めてこの寺におさめたという。
                                               (仙台の三十三観音より)
観音堂は十一面観音像を祀っている。小萩観音と称され行基作と伝えられ、もと榴ケ岡天神林内修験萩徳山仏性寺にあったが、
其の後商人の手に渡ったが仙岳院十五世亮湛がこれを買収して此所に安置したものである。
                                               (青葉の散歩手帖より)


仙岳院観音堂
仙岳院観音堂
観音堂内
観音堂の中

しんまい巡礼記
最近敷地が不動産屋のものになった報道を聞いて、今後どうなるのか些か不安です。
また、本堂の濡縁に六地蔵(濡縁にあるのは珍しい)や倶利伽羅不動明王像がありますのでこちらも必見のほどよろしく。
駐車場は東照宮をご利用して下さい。


仙岳院山門 第十一番札所石柱 本堂濡縁にある六地蔵
仙岳院山門 第十一番札所石柱 本堂濡縁にある六地蔵

巡礼御詠歌
あとたれし神もすずしめ法の花 咲くやつつじが丘のみむろに


眺海山仙岳院観音堂データ

【所在地】           仙台市青葉区東照宮1丁目1の16
【ご本尊】           十一面観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は開いているが、厨子内にあり、拝観はできない。
【ご扁額】           小萩観音
【ご詠歌額】          なし





第十二番札所   喜光山慈恩寺観音堂

この寺は仙石線榴ケ岡駅から西へ三〇〇メートルの地にあり、宮城野通りのわきに昭和五十三年に完成したこじんまりとした
観音堂の内陣に聖観音が安置されている。
                                                (仙台の三十三観音より)


仙岳院観音堂
観音堂 石柱は堂の左に建っています。
観音堂の内部
観音堂内の厨子

しんまい巡礼記
だだっ広い敷地の西側に観音堂と丸彫聖観世音菩薩立像及び寄進された一番揚柳観音より三十三番灑水観音が並んで安置
されています。
三十三観音は、揚柳観音、龍頭観音、持経観音、円光観音、遊戯観音、白衣観音、蓮臥観音、瀧見観音、施薬観音、魚藍観音、
徳王観音、水月観音、一葉観音、青頸観音、威徳観音、延命観音、衆宝観音、岩戸観音、能静観音、阿耨観音、阿摩提観音、
葉衣観音、瑠璃観音、多羅(尊)観音、蛤蜊観音、六時観音、普悲観音、馬郎婦観音、合掌観音、一如観音、不二観音、持蓮観音
、灑水観音を指す。詳しくは、現地か青葉区の文殊堂でご覧下さい。


巡礼御詠歌
たちまよふやみぢになほや喜ばん 光さし出づる月にむかへば


喜光山慈恩寺観音堂データ

【所在地】           仙台市宮城野区榴岡5丁目12の2
【ご本尊】           聖観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は閉まっている。覗き窓より厨子のみ拝観できる。
【ご扁額】           なし
【ご詠歌額】          なし





第十三番札所   松風山金勝寺

仙石線榴ケ岡駅から南へ二〇〇メートルほど歩いた西側に本堂が見え、山門から入った左手には金毘羅堂があり、観音像は
本堂に安置されている聖観世音菩薩である。
                                                   (仙台の三十三観音より)


金勝寺山門
金勝寺山門 石柱は山門手前右側にあります
金勝寺本堂
本尊が安置されている金勝寺本堂

しんまい巡礼記
本堂左側の金毘羅大権現堂を観音堂と間違わないように!

巡礼御詠歌
うき雲もかかればみねの松風に ふきはらはせていづる月かげ
まつかぜのおとにみのりのこえそえて なほすみわたるかねかづの寺



松風山金勝寺データ

【所在地】           仙台市宮城野区榴岡5丁目9の1
【ご本尊】           聖観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     本堂内にあり、外部からの拝観はできない。
【ご扁額】           金勝寺
【ご詠歌額】          なし





第十四番札所   森城山大林寺観音堂

新寺小路県道清水小路―多賀城線の長泉寺横丁に近いところの西側にこの寺はある。山門を入って右側に千手観音を祀る
小じんまりした観音堂がある。                            (仙台の三十三観音より)
境内に観音堂と妙理堂がある。観音堂は慈覚大師作と伝えられる千手観音が安置されている。                                                                    (若林の散歩手帖より)



第十四番札所 石柱 観音堂 観音堂内
第十四番札所 石柱 大林寺観音堂 堂内に安置されてる千手観世音菩薩像

しんまい巡礼記
大林寺は土井晩翠の墓と歌碑(おほひなる真ひるの夢を見よかしと生先長き子に望まん)があるので有名です。観音堂は
一間四方の片流れ屋根で可愛らしい建物です。


巡礼御詠歌
あふげなほたてし誓の大いなる 玉の林にうつるひかりを


森城山大林寺観音堂データ

【所在地】           仙台市若林区新寺4丁目7の6
【ご本尊】           千手観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は閉まっているが、覗き窓より微かに拝観できる。
【ご扁額】           なし
【ご詠歌額】          あり





第十五番札所   五却山愚鈍院観音堂

境内に聖観音を祀った観音堂がある。別名桜塚観音ともいわれ、呑茶和尚が在世中から境内の桜の木に菩薩がおられることを
説かれ、のち遷化したあとも「我が容像を再彫し、堂を設け、桜を植えて安置せよ」と後代の住持に告げたことに由来すると
伝えている。のち、その由来によって桜塚観音と称するようになったという。
                                              (仙台の三十三観音より)
山門を入って右手十メートルのところに、小さな観音堂がある。桜塚観音といわれ、聖観音を祀り仙台三十三観音の
第十五番札所である。                                (若林の散歩手帖より)



第十五番札所 石柱 愚鈍院観音堂 観音堂内部
山門横にある第十五番札所 石柱 愚鈍院観音堂 聖観世音菩薩像

しんまい巡礼記
ここが五却山で、北西隣の十六番札所が十却山ですが、なんでなのだろう。親戚寺かな?

巡礼御詠歌
おろかなる身をおもふとてけしのます 五つはかりしほどぞ久しき


五却山愚鈍院観音堂データ

【所在地】           仙台市若林区新寺3丁目12の17
【ご本尊】           聖観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は開いており、拝観できる。
【ご扁額】           なし
【ご詠歌額】          あり





第十六番札所   十却山成覚寺観音堂

成覚寺所蔵の木造聖観世音菩薩立像は仙台三十三番札所観音第十六番札所の本尊として当寺境内の観音堂に安置されて
いる。『封土風土記』)(明治五年刊)によると大町の商人高屋弥七の先祖が江戸にいた頃伊豆国川津村南禅寺にあったこの像を
僧に請って譲り受け江戸に移し、後に仙台市下向後同寺に奉納したものとあり像の背面にかすかに朱で「元禄八年」の
銘があるところから、この銘は像が同寺に奉納された年次を表わしているものと思われる。僧客は檜材一本造の立像で右手に
未開蓮を持つ。両手のつぎは、右手は 二の腕で左手は手首でついであるが、それ以外はほとん一木で、両足のこうで
はいであるだけである。
 また、面部と胸部及び両腕には金箔がおされているが(下部は朱漆)これは状態からみて江戸初期(元禄頃?)に同等に
奉せさられたときにほどこされたものと思われる。像は全体的には首太の胴のしまった六等身のスマートな容姿に流れるような
天衣のひだの線が見られ、腕をおされるため流ちょうな天衣の一部を手首(左手)にまきつける手法が見られる。頭部を見ると
耳は比較的大きく面部のまゆから目鼻にかけての作り及びあごの彫り方等から藤原期の手法が見え平安時代の後期の作と
考えられる。台座は前半分に二十一枚の蓮所がおかれるが、これは江戸時代になってからのものといってもよかろう。光背は
奉納されたときにはすでになく、厨子は以前は明治中期に同寺壇徒が奉納したものに納められていたか、現在は新しい厨子に
かえられている。
                                             (成覚寺設置の説明看板より)

山門を入って有名な沙羅双樹の名木の脇に観音堂はあり、行基作と伝える一七〇センチ余りの聖観音像が安置されている。
聖観音は県指定文化財であり、指定仏像として仙台三十三観音中唯一のものとしても有名である。伝えるところによると、
静岡県川津町の南禅寺にあった観音を仙台商人が招来して、この寺に安置したと伝えている。
                                             (仙台の三十三観音より)
本堂前には観音堂があり、木造聖観音像が安置されている。大町の高屋弥七が静岡県川津邑南禅寺にあった像を
奉納したものと伝えられている。観音像は桧材、像高百六十五センチ、平安時代の作で、天衣の一部をを手首に巻きつけ、
耳は大きく、首も太く胴のしまった端正な容姿の仏像である。昭和四十九年(一九七四)県の有形文化財に指定されている。
                                             (若林の散歩手帖より)


成覚寺 山門 成覚寺 観音堂 第十六番札所 石柱
成覚寺 山門 成覚寺 観音堂 第十六番札所 石柱

しんまい巡礼記
ここの山門は政岡(三沢初子)の廟所の向唐門で、明治時代に譲り受けたそうです。御詠歌は観音堂左手の「南無観世音菩薩」と
刻まれた石碑に彫られていました。因みに正岡の墓は宮城野区榴岡5丁目公園にありますが墓所内には入れません。


巡礼御詠歌
覚り成る心(こち)はむかしの十(よそ)の月 みちくる月のあけがたの空


十却山成覚寺観音堂データ

【所在地】           仙台市若林区新寺3丁目10の12
【ご本尊】           聖観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は閉まっている。覗き窓より、拝観が可能である。
                 但し、覗き窓が鏡面仕上のため写真撮影はできない。
【ご扁額】           観世音
【ご詠歌額】          なし





第十七番札所   法王山阿弥陀寺

この寺は仙台でも数少ない時宗の寺院で、仙台駅から最も近い札所である。
観音堂はかって享保元年(一七一六)につくられた寺の境内におかれたが、堂宇がいたみ明治十五年以来、本堂東脇の聖観音
のみが安置された。現在、観音堂はない。観音像は、さ八〇センチの木彫の立像で、仏師春日の作と伝えられる。
                                                (仙台の三十三観音より)
境内には仙台三十三観音の第十七番札所の観音堂がある。平成三年(一九九一)再建され、木像聖観音立像が安置されている。
像高は八十三センチあり、「影沼観音」と云われている。
昔は寺池一帯は低地で、水を湛えていたところに、偶々観音の影が見えたので、水底を捜索して発見したので、「影沼観音」と
称したと伝えられる。
                                                (若林の散歩手帖より)


阿弥陀寺本堂
阿弥陀寺本堂 十七番札所石柱は山門前にあります
阿弥陀寺の堂
本堂右手前のお堂 これは観音堂ではありません (^^;

しんまい巡礼記
ここは、石仏調べで何度か来ていました。前回に来た時に眼鏡の弦のビスが飛んで弦が無くなったことを思い出しました・・。

巡礼御詠歌
つきせじな幾世ふるとも阿弥陀仏 はなれじとのみたてし誓は


法王山阿弥陀寺データ

【所在地】           仙台市若林区新寺3丁目5の3
【ご本尊】           聖観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     覗き窓はありますが、摺りガラスのため外部から拝観できません。
【ご扁額】           なし
【ご詠歌額】          なし





第十八番札所   喜雲山光寿院観音堂

東九番丁にあって、JR東北本線東九番丁踏切から北へ五〇〇メートルの地にあり、八塚(今の新寺小路界隈)の寺町では、
一番西にあたっている。観音堂にはさ二〇センチの金銅の聖観音があるが、作者は不明である。
                                               (仙台の三十三観音より)
阿弥陀寺の南隣に光寿院がある。喜雲山と掲額してある山門の傍に「仙臺十八番観世音」と刻まれた石柱が建っている。
仙臺三十三観音の各札所門前に建立されているもので、輪王寺四十一世の福定無外和尚の筆で、昭和十一年(一九三六)
十二月に一力友助氏が建立したものである。観音堂は都市計画の区画整理事業によって、昭和五十三年(一九七八)に
改築されている。
                                               (若林の散歩手帖より)


光寿院 山門 光寿院 観音堂 光寿院 観音堂内部
光寿院 山門 石柱は向かって左にあります 鮮やかな緑に囲まれた光寿院 観音堂 観音堂 内部

しんまい巡礼記
十七番札所のすぐ南側にあり、二間四方の入母屋造の観音堂です。

巡礼御詠歌
むらさきの雲にさしそふひかりこそ 楽しきかげや山のはの月


喜雲山光寿院観音堂データ

【所在地】           仙台市若林区新寺3丁目7の1
【ご本尊】           聖観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は開いており、拝観できる。
【ご扁額】           観世音
【ご詠歌額】          あり





第十九番札所   天苗山皎林寺観音堂

この寺は荒町の東にあって商店街にも近く、曹洞宗に属する。
ここの観音堂に祀る観音には、「残月台本荒里」によると飛観音の伝説が残されている。江戸時代延宝(一六七三〜八一)の頃、
城下東端の三百人町に住む足軽惣右衛門宅の屋敷に観音さんが現れたために、近くに貴賎群衆してこの観音を信仰したと
いわれ、ついで荒町の毘沙門堂に現れ、近くの皎林寺に落着いたといわれる。本尊は聖観音である。
                                               (仙台の三十三観音より)

境内西側に観音堂があり、千手観音菩薩を安置している。仙台三十三観音の第十九番札所である。飛観音といわれており、
「残月台本荒萩」(作者不明、安永年間の著作)には次のように記されている。
 飛観音 延宝六年の頃。若林三百人町。御足軽惣右衛門屋敷に。來臨し給ふとて。貴賎群衆せり壱ケ年程過ぎて毘沙門堂
 地内に移し。十ケ年程過て。同所西皎林寺へ移す。
                                               (若林の散歩手帖より)

ご本尊は釈迦如来、観音堂のご本尊は千手観音(通称、飛観音)で聖徳太子の作と伝えられ、仙台巡礼三十三所の
第十九番札所になっています。飛観音は、火災のときに三百人町、惣右衛門屋敷に飛んできてまつられ、1年後、毘沙門堂に、
さらに皎林寺さんに移られました。                        (荒町界隈物語より)


皎林寺 山門 皎林寺 観音堂 観音堂内部
皎林 山門 十九番石柱は門前右側です 皎林寺 観音堂 観音堂内 奥に厨子が見えます

しんまい巡礼記
東九番丁の通りから東に少し入ったところにあり、隣が幼稚園で賑やかな声が響いていました。

巡礼御詠歌
たておきし誓のほどもあらはれて いつしかここに飛びいたりぬる


天苗山皎林寺観音堂データ

【所在地】           仙台市若林区荒町205
【ご本尊】           聖観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     観音堂の扉は閉まっている。覗き窓より厨子のみ拝観できる。
【ご扁額】           なし
【ご詠歌額】          なし





第二十番札所   満谷山円福寺

ここの観音は悪玉観音として知られる。平安初期に坂上田村麻呂が征夷の折り、利府の長者の娘を側室とした。これが悪玉で、
彼女の護持仏がこの寺にある聖観音であると伝える。この観音が利府からこの地に移され、円福寺ができると共に、この観音を
安置したのでこの名がついたともいわれている。現在、本堂中央の本尊として祀られている。
                                               (仙台の三十三観音より)
本尊の正観音菩薩は、昔坂上利仁の侍女あく堊玉の護持仏で、子育観音又は堊玉観音と唱えた。しかし一説には坂上田村麻呂
の側室としての伝承もある。小倉博著「仙臺」(大正十三年発行)には次のように記されている。
堊玉観音 石名坂にある円福寺の本尊は、聖徳太子作のしらたま堊玉観音で安産の守と信じられてゐる。
                                               (若林の散歩手帖より)
この観音は、坂上田村磨の愛人、堊玉の護持仏であったと伝えられています。彼女は宮城郡利府の生まれで常日頃、
この観音様を愛護していたといわれます。堊玉の名は言い伝えにより「阿久玉」「悪玉」などの字が当てられることがあります。
しかし「奥羽観蹟聞老志」の記載が「堊玉」であり、「悪」は「堊」の字の下の部分「土」を「心」に誤ったもの、「阿久玉」は、「悪玉」の
音を別字にしたものと理解できます。英雄の(絶世の美女と思われる)愛人の名に「悪」がつくのでは可愛そうです。堊玉の訓、
「シラタマ」は「真珠」を指します。こちらなら、美女の名にふさわしいではありませんか。1926年に刊行された「仙臺叢書第12巻」(佐久間洞巌が四代藩主伊達綱村の命により編纂)所載の「田村三代記」の解題中に、「又伝説堊玉(世に悪玉といえる堊玉の
誤りなりという)」とあり、ホッとしました。現住の住職さんに、この観音様の拝観をお願いしましたが、秘仏であり一般には
公開しない、住職も一世一回のみ拝観が許されるとのことでした。
                                               (荒町界隈物語より)


円福寺本堂 御詠歌額 二十番札所石柱
観音像を安置している円福寺本堂 本堂に掲げられてる御詠歌額 第二十番札所 石柱

しんまい巡礼記
本堂左手に丸彫聖観音菩薩立像があり側にお堂があるが、このお堂は千躰仏堂で堊玉観音は、本堂に安置されているので
ご注意を!!また、余談ですが、ここにある花魁石名の墓は「遊女石名の墓」として、太白区の宗禅寺の「鶏の墓」及び
青葉区瑞鳳寺にある富岡玄門の「槍形碑」と共に仙台三奇墓だそうです。他も見て頂きたい。 
 

円福寺 山門 千躰仏堂 遊女石名の墓
円福寺の参道と山門 本堂左手にある千躰仏堂 仙台三奇墓の一つである遊女石名の墓

巡礼御詠歌
ひとすじにいのるしるしの石名坂 のぼるみぎりにあらはれやせん


満谷山円福寺データ

【所在地】           仙台市若林区石名坂61
【ご本尊】           聖観世音菩薩
【ご本尊開帳状況】     本堂内にあり、外部からは拝観できない。本堂左手に千躰仏堂あり。その傍に聖観音立像あり。
【ご扁額】           圓福寺
【ご詠歌額】          なし



第一〜第十番札所へ 第二十一〜第三十三番札所へ 付録〜七観音について



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