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白石市について>
藩政時代、伊達家の重臣であった片倉家の城下町として栄えた町で古代より関東から奥州(東北)へとつづく東街道の入口に位置し交通の要衝でした。
地理的にも蔵王山麓のふもとにあたるため、現在では蔵王観光の玄関口としての役割を担っており東北新幹線の白石蔵王駅や東北自動車道の白石ICもあるので首都圏を始め各地からのアクセスも大変便利になっています。
市内各所には魅力的な観光名所がたくさんあります。中心部には市のシンボルである白石城や城下町の風情がある武家屋敷などが、西部には鎌先温泉・小原温泉、景勝地で知られる碧玉渓(へきぎょくけい)、迫力ある断崖岩の材木岩(国天然記念物)などがあります。
食べるものでは白石温麺(うーめん)といわれる素麺(そうめん)のようなこの地方独特の麺があり醤油や味噌をベースにした汁につけて食べます。白石に来たら一度は食べたい逸品です。うーめんを味わえる店は市内各所にあります。お土産用もあるので家でも手軽に料理して楽しめます。


※観光地の名称または写真をクリックすると詳細情報をご覧いただけます。

白石城 しろいしじょう(ますおかこうえん)
白石城(益岡公園)
史跡
白石城は別名、益岡城といい藩政時代は片倉家の居城、また戊辰戦争の歴史の1コマである奥羽越列藩同盟締結の地として知られています。
本丸・二の丸は桜の名所として知られており益岡公園として白石の人々に親しまれています。平成7年(1995)には本丸(天守閣)が復元され、現在では白石市のシンボル的存在となっています。
天守閣は昔ながらの建築様式にのっとって復元されており、青森ヒバやヒノキをふんだんに使った豪華な造りとなっています。
白石市益岡 益岡公園内


片倉家廟所 かたくらけびょうしょ
片倉家廟所
史跡
白石市の西側、愛宕山(あたごやま)の麓にあり、延宝八年(1680)、片倉氏三代景長(かげなが)が、みずから土地を選んで歴代の墓所としました。花崗岩の玉垣に囲まれて、10体の石造阿弥陀如来坐像が並んでいます。十一代以降の当主および夫人らは傑山寺を墓所としています。
また近くには、片倉多喜子、伊達政宗の正室、愛姫の父、田村清顕(三春城主)の墓もあります。
白石市福岡蔵本字愛宕山


飛不動尊 とびふどうそん
飛不動尊
寺院
天正19年(1591)に伊達政宗が建立したと伝えられています。
昔堂が火災に見舞われたとき、本尊が自ら飛出し、裏にあった岩窟に避けたと伝えられ、またあるときにはこの地方に大地震がおき堂や周りの建物は巨岩に押し潰されてしまいましたが、奇跡的に誰も傷ひとつ負いませんでした。このことより飛不動は霊験高い不動尊として知られるようになり多くの崇敬を集めました。災難厄除のほか良縁、子宝、家内安全にもご利益があると言われ、8の付く日に参拝すれば願いが叶うといわれています。
白石市小原字江志山


田村神社 甲冑堂 たむらじんじゃ かっちゅうどう
田村神社 甲冑堂
神社
田村神社は坂上田村麻呂を祀る神社で、その境内に甲冑堂とよばれる堂があり芭蕉の紀行文にも紹介されています。堂は法隆寺夢殿によく似た六角堂で、明治8年(1875)に焼失してしまいましたが、昭和14年(1939)に再建されました。
堂内には源義経の家来、佐藤継信・忠信が着用したという甲冑と、郷土の彫刻家小室達(こむろとおる)氏の製作の兄弟の妻の美しい甲冑姿の木像があります。
白石市斎川字坊ノ入54


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