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| 平安時代中期、全国に総社が建てられたのに、あたって陸奥国内の神社100社(31郡の大社15社・小社85社)の神を合祀し国府のある多賀城鎮護のために建てられました。 |
| 境内には樹齢600年余の杉と220年余の白木蓮の木が立っており夫婦円満の神木としてしられています。この木は保存木にも指定 |
安産祈願、海上守護、大難よけにご利益があるといわれています。
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| 多賀城市市川字奏社1 |
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| 多賀城は朝廷により陸奥国の国府が置かれていま所で奈良・平安時代政治・文化・軍事の中心地でした。多賀城跡は多賀城市の北西の丘陵の上にあり国府の跡の他、周囲には住居の跡なども発見されており当時の町並の跡も見ることができます。 |
| 多賀城跡は日本三大史跡に数えられています。 |
| 多賀城跡は、政庁跡だけでなく加瀬沼や多賀城廃寺跡まで複数の地区が合わさって、遊歩道で繋がり史跡公園となっています。時間をかけてじっくり歴史散策が楽しめます。 |
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| 多賀城碑は南門跡に入ってすぐの小堂の中に納めされています。石碑には多賀城創建・各国からの距離・多賀城修復について記されています。 |
| 別名「壷碑」とも言われ、歌枕としても知られています。 |
| 多賀城碑は、群馬県の多胡碑・栃木県の那須国造碑とともに日本三古碑の一つに数えられています。多賀城跡とは遊歩道で繋がっているので、歴史散策の途中に立寄ってみてください。周囲は公園として整備されているので、ベンチや東屋など休憩場所も多くあります。 |
| 多賀城市市川 |
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| 多賀城跡から南東へ1kmほどの場所にあります。奈良時代、多賀城の鎮護のために建てられて寺院といわれています。発掘調査により金堂・講堂・僧坊・鐘楼・南大門・三重塔などを備えた大伽藍であったことがわかっています。 |
| 多賀城跡とともに国の特別史跡にも指定されています。 |
| 多賀城跡からも比較的近いので、史跡散策の途中に見るのが良いと思います。 |
| 多賀城市高崎 |
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| 末の松山は、沖の石とともに、古くから歌枕として知られてきた場所で、奈良・平安時代の歌人達の憧れの的で有名でした。当時は十数本の松があったといわれていますが、現在では2本が残るのみとなっています。 |
| 末の松山は、高台にあり多賀城の町を見渡すことができます。 |
| 沖の石(輿の井)は末の松山から50m程南に行った場所に位置しています。この場所も歌枕として知られています。四代藩主、伊達綱村の時代には番人も置かれていました。住宅地の中に海辺の箱庭のような景色を見ることができます。 |
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| 野田の玉川は多賀城駅から北東へ5分程の場所にあり、この場所も古来より多くの歌人の歌に詠まれてきました。塩釜駅の近くの民家の庭先に能因の歌碑、玉川の碑があります。 |
| 日本六玉川の1つに数えられています。 |
| 現在の野田の玉川は、多賀城国府の時代を思わせるような、橋や街灯が造られいて、川岸にも川底にも遊歩道があり観光客・付近の人々の憩いの場所となっています。また「行灯祭り」の会場にもなっています。 |
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これらの碑は鎌倉時代から室町時代にかけて建てられた供養の為の碑です。碑には、仏・菩薩・仏像などの名号、その下に碑の建てられた年月日・願い事を書いた文・建てた人の名前が書かれています。これらは七北田川改修の時に周辺から集められたものだと伝えられています。
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| 一言でいうと・・とても分かりにくい場所です。多賀城の他の観光地とも1つだけ離れているので、訪れる機会はないかもしれません・・付近の道路は交通量も多いので訪れる時には十分注意してください。 |
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坂上田村麻呂が奥州侵攻のとき、末の松山に軍を休めました。この後、戦に勝利し八幡宮をこの地に勧請して社殿を造営したのが始まりと伝えられています。
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| 八幡神社のあるこの地は沖の井とも呼ばれており、末の松山、沖の石とともに歌人に親しまれている歌枕の地でもあります。 |
| 境内は工業地帯の真中にありながら、この場所だけ時が止まったかのように杉の古木に囲まれ静かな雰囲気の中にあります。 |
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| 7世紀から8世紀の初頭ごろの豪族の墓で、横穴は36ほど確認されています。副葬品として金銅装頭稚太刀・鉄刀・勾玉・耳飾などが出土しています。これらのものから、墓の主は中央政権とつながりのある者と考えられています。 |
| 現在では、崖の掘削などにより原型を見ることは出来ません。 |
| 古墳の前には季節の花が植えられています。県道を挟んで向かい側は緑地公園となっていて、散歩や運動を楽しむことができます。また七ヶ浜町の湊浜にも同様な古墳群をみることができます。 |
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