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多賀城市

多賀城は奈良時代、724年(神亀元年)に大野東人が築城したと言われ、その後、国府や鎮守府、寺院など大和朝廷の拠点として繁栄しました。
現在では、多賀城跡は特別史跡に指定され政庁跡や城碑、復元された塀を見ることができます。

多賀城はかつて都人の憧れの地として歌枕が多く存在しています。末の松山・沖の石・野田の玉川は多くの歌に詠まれています。

多賀城を歩けば悠久の歴史に彩られたロマンを感じることができるでしょう。

※地図の名称または写真をクリックすると詳細情報をご覧いただけます。

見る・公園
末の松山
末の松山は沖の石とともに古くから歌枕として知られてきた場所です。当時は十数本の松があったといわれていますが現在では2本の松が残るのみとなっています。
末の松山 沖の石
沖の石は末の松山とともに歌枕の地として知られています。四代藩主、住宅地の中に海辺を模したの箱庭のような景色を見ることができます。
沖の石
野田の玉川
古来より多くの歌人に詠まれてきた川で、日本六玉川に1つに数えられています。塩釜駅の近くの民家の庭先には能因の歌碑、玉川の碑があります。
野田の玉川  
博物館
東北歴史博物館
多賀城跡に隣接するように建てられた県立の博物館で、縄文から現代まで宮城・東北の歴史資料を展示しています。子供から大人まで楽しめる施設です。
東北歴史博物館
史跡・遺跡
多賀城跡
多賀城は朝廷により陸奥国の国府が置かれていま所で奈良・平安時代政治・文化・軍事の中心地でした。多賀城跡では国府の跡の他、町並の跡等も見られます。
多賀城跡 多賀城廃寺跡
多賀城跡から南東へ1kmほどの場所にあり奈良時代、多賀城の鎮護のために建てられてた寺院の跡です。発掘調査により大寺であったとが想定されています。
多賀城廃寺跡
大代横穴古墳群
7世紀から8世紀の初頭ごろの豪族の墓で、横穴は36ほど確認されています。副葬品として金銅装頭稚太刀・鉄刀・勾玉・耳飾などが出土しました。
大代横穴墓群 南安楽寺古碑群
これらの碑は鎌倉時代から室町時代にかけて建てられた供養の為の碑です。これらは七北田川改修の時に周辺から集められたものだと伝えられています。
南安楽寺古碑群
寺院・神社
陸奥総社
陸奥総社は平安時代中期、全国に総社が建てられたのにあたって陸奥国内の神社100社の神を合祀し国府のある多賀城鎮護のために建てられました。
陸奥総社 八幡神社
坂上田村麻呂が奥州侵攻のおり末の松山に軍を休めました。その後、戦に勝利し八幡宮をこの地に勧請して社殿を造営したのが始まりと伝えられています。
八幡神社

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